下水道管路の老朽化への対応が全国的な課題となる中、2025年1月に埼玉県八潮市で発生した道路陥没事故(※1)などもあり、管路の維持管理に対する社会的な関心は一層高まっている。
下水道管路に起因する道路陥没等の事故は、令和4年度だけで年間約2,600件(※2)。各自治体で点検・調査や修繕・更新への関心が高まる一方、「工事が始まるまでの期間」や「工事期間中」の環境・衛生対策という視点は、まだ広く知られていないのが実情だ。
1960年の創業から、硫化水素・臭気対策を中心とした環境・衛生分野で全国の下水処理施設の現場を支えてきた無臭元工業株式会社は、このほど「下水道管路延命保全プロジェクト」を発足。腐食環境を改善し、修繕・更新までの時間を安全につなぐ「延命保全」の確立を目指し、新たな挑戦を始めている。
※1 当該事故の原因究明委員会の報告(埼玉県公式ホームページ掲載)において、硫化水素によるコンクリート腐食が主な要因と指摘されている
※2 国土交通省「令和5年度 下水道管路メンテナンス年報」より。そのほとんどは陥没深さ50cm未満の小規模なもの
無臭元工業株式会社 マーケティング部グループリーダー/
下水道管路延命保全プロジェクトリーダー
坪川 仁

入社時より営業部に所属し、官公庁部門の責任者として、下水処理施設やごみ処理施設などの生活を支えるインフラの環境・衛生対策に携わる。会社が長年培ってきた硫化水素・臭気対策の知見をもとに、下水道管路の「延命保全」に向けた構想の具体化を進め、プロジェクトを発足。東北大学との共同研究をはじめ、外部機関とも連携しながら事業化を進めている。
「におい」と硫化水素に向き合って60余年
多様な現場で培った技術を、管路へ
まずは、無臭元工業の事業内容について教えてください。
当社は1960年の創業から60年以上にわたって、においの対策と水処理を中心とした環境・衛生分野に取り組んできた会社です。
特に下水処理施設やし尿処理施設などは、硫化水素をはじめとした臭気にお困りの現場が多く、薬剤を用いた対策をご提供してきました。ただ薬剤を販売するだけでなく、お客さま毎に異なる要件に合わせた運用設計を含めたソリューションをご提供しています。現場のお困りごとに寄り添う姿勢が、当社の強みだと考えています。
今回、新たに「下水道管路延命保全プロジェクト」を発足されました。どのような取り組みなのでしょうか。
多様な現場や課題への対応を通じて培ってきた技術と経験を、下水道インフラの長寿命化に、より一層活かしていけないか―と考えたのが出発点です。硫化水素は、においや作業環境の問題だけでなく、条件によってはコンクリートの腐食にも関係します。現在、東北大学と下水道管路の「延命保全」に向けた共同研究を開始し、薬剤による硫化水素の抑制、下水中の菌叢(きんそう=微生物の集まり)の変化、そしてコンクリート腐食との関係を、一つずつ確認しているところです。硫化水素対策を腐食リスクの低減につなげ、国土交通省が推進する予防保全型の下水道維持管理に貢献する技術へと昇華させていく。そういう位置づけのプロジェクトです。
目指しているのは、これまで培ってきた硫化水素対策に、計測・解析・評価の技術を組み合わせ、下水道管路の維持管理に活かせる仕組みへと発展させることです。腐食に関わる環境や要因を捉え、その結果を維持管理や修繕・更新の判断にも役立てられる「延命保全ソリューション」として形にしていきたいと考えています。
坪川さんご自身は、どのような想いでこのプロジェクトに取り組まれているのですか。
私は入社以来、長く営業部門に在籍し、下水処理施設を中心に臭気や水処理に関わる課題解決に携わってきました。企業としても個人としても、「下水道業界の皆さまに育てていただいた」という想いを強く抱いております。
そのような背景から、下水道インフラの維持管理やストックマネジメントの重要性が高まる中で、「当社の技術を活かしてさらに踏み込んだ貢献ができないか」と、模索し続けていました。
2025年11月にマーケティング部へ移ったことを機に、これまで長きにわたり会社全体で構想してきたソリューションを新規事業として具体化・加速させる役割を担うことになり、東北大学との共同研究などを進めながら、現在のプロジェクトへと形にしてきました。下水道インフラの老朽化はすでに大きな社会課題となり、今後さらに深刻化していくことが見込まれています。この難しい局面において、当社の技術を活かして少しでも業界に恩返しがしたい。そして、下水道を支えることを通じて、地域住民の皆さまが安心して暮らせる環境を守ることにも貢献していきたい。それが私自身の想いです。
全国約49万km。
「劣化が進んでいる管路すべてを一度に直す」ことはできない
下水道インフラを取り巻く社会課題を、どのように捉えていらっしゃいますか。
下水道管路の老朽化や腐食に対する社会的な関心は、以前にも増して高まっていると感じています。管路では、老朽化だけでなく、硫化水素などによる腐食や、管路内で作業する方の労働安全上のリスクも重要な課題です。
一方で、日本全国には約49万km―地球およそ12周分もの下水道管路が張り巡らされています。今後、老朽化に伴って修繕・更新が必要となる管路が増えていく一方、予算や人員、施工能力には限りがあることも事実です。すべての工事に一斉に着手することは難しいからこそ、点検・調査によって状態を把握し、緊急性に応じて優先順位をつけながら、必要な対策を講じていくことが重要になると考えています。
なぜ、管路の長寿命化を支える「延命保全」に着目されたのでしょうか。
修繕・更新が必要な管路は、適切に工事を行うことが大前提です。ただ、点検や調査で課題が確認されても、設計や予算確保、発注などを経て、実際に修繕・更新へ着手するまでには一定の時間がかかります。当社は、その期間にもできることがあるのではないかと考えました。
工事まで何もしないのではなく、腐食しやすい環境を改善し、劣化の進行をできるだけ緩やかにしながら修繕・更新へつないでいく。そこに、当社がこれまで培ってきた技術や経験を活かせると考えています。
調査する。悪くなる前に抑える。必要なところはきちんと直す
3つのフェーズで支える「延命保全」
具体的なソリューションについて教えてください。「事前調査」「修繕・更新着手までの期間」「工事期間中」という3つのフェーズで支援されるそうですね。
はい。一つ目の「事前調査」では、硫化水素の発生状況や臭気、水質・流量、管路の条件などを確認し、どこに、どのようなリスクがあるのかを把握します。研究段階では、下水中の菌叢も確認しながら、腐食しやすい環境との関係を検証しています。「どこが腐食しやすいのか」を正しく知ることが、すべての出発点になります。
二つ目が「修繕・更新着手までの期間」。点検で異常が確認されても、実際に工事が始まるまでには、詳細調査、設計、予算確保、発注といった手続きが必要で、どうしても一定の時間がかかります。その間、管路のリスクはそのまま残ってしまいます。薬剤で管路を直すことはできませんが、硫化水素による腐食の進行を緩やかにすることは可能だと考えています。この期間に薬剤を活用して硫化水素を低減し、腐食しやすい環境をできるだけ改善していく。これが、当社の考える「延命保全」です。
三つ目が「工事期間中」です。古い管を取り除く工程などでは、下水を含んだものが外気に触れる場面があり、硫化水素やにおいが発生することがあります。周辺にお住まいの方への配慮と、現場で作業される方の安全確保のために、当社が培ってきた硫化水素・臭気対策のノウハウを活かすことができます。工事へのご指摘というと騒音や振動がよく知られていますが、近年では臭気・硫化水素に対する関心も高まっています。また、下水がかかわる工事に限らず、こうした現場では安全・衛生への配慮が不可欠です。
工事を行う事業者の皆さまや、発注する自治体の皆さまにとっても、「工事期間中」の配慮と対策は、今後ますます重要になっていくと考えています。

無臭元工業が提供する3つの支援フェーズ。下水道管路の修繕・更新の現場における課題を複合的にサポートする。
このプロジェクトを進めるうえで、いちばん大切にされていることは何ですか。
大切にしているのは、できるだけ大きな損傷や事故が起きる前に手を打つことです。もちろん、何かが起きた際には適切な修繕・更新を行う必要があります。ただ、事後的な対応はどうしてもコストが増加し、工期も長期化するため、周辺の暮らしや社会活動への影響も広がります。だからこそ、国土交通省が推進する予防保全の考え方に基づき、状態を把握しながら、できるだけ早い段階で対策していくことが重要です。
一方で、点検・調査によって課題が見つかっても、すぐに修繕・更新へ着手できるとは限りません。その間の安全をどう確保し、限られた予算や施工能力をどう有効に活かしていくか。そこに、腐食リスクを抑えながら必要な対策までの時間をつなぐ「延命保全」の役割があると考えています。当社としては、予防保全から修繕・更新、その間をつなぐ延命保全まで、それぞれの場面で技術や経験を活かしていきたいと思っています。
平時から災害・復旧時まで――現場を支える硫化水素・臭気対策
これまでの対応実績や、印象に残っているエピソードをお聞かせください。
硫化水素・臭気対策は、中継ポンプ場から管路、そして下水処理施設まで、下水が流れるあらゆる工程でニーズがあり、その現場は全国各地に及びます。たとえば、ある臨海部の中継ポンプ場においては、下流側の下水道管路内に滞留する硫化水素が課題となっており、長年にわたって対策を続けています。
また、震災や台風、豪雨による河川氾濫で下水処理施設が浸水した際など、突発的な事態における硫化水素・臭気対策にも携わってきました。
「いつ起きるかわからない」事態に対して、迅速かつ柔軟に課題解決を支えてきた経験の積み重ねもまた当社の財産です。道路陥没事故の復旧現場でも、環境・衛生対策の面から継続的に支援を行っています。
埼玉県八潮市の道路陥没事故への対応で、埼玉県や鹿島建設から感謝状を受けられたと伺いました。どのような思いで現場に向き合ってこられたのでしょうか。
発災直後は救助活動が最優先され、その後、現場は復旧工事のフェーズへ移行しています。現在も多くの企業や関係者の皆さまが、それぞれの専門性を持って対応を続けており、当社もその一員として、環境・衛生面からの支援に携わってきました。
事故による影響が長期にわたる中でも、下水は流れ続け、周辺には住民の皆さまの日々の暮らしがあります。インフラの復旧には、構造物そのものを直すことに加えて、復旧までの期間をいかに安全に、周辺環境にも配慮しながら支えていくかという視点も重要であると、改めて感じました。
こうした現場での経験も、下水道管路の維持管理や、その間を支える「延命保全」について考えていく糧としています。
自治体の実情から探る―「延命保全」が果たせる役割
この度、当協議会と連携して自治体意識調査を実施されます。調査に込めた思いをお聞かせください。
今後、老朽化する管路が増えていくと、点検から修繕・更新までの期間をどう安全につなぐかという視点が、より重要になっていくでしょう。その中で、「延命保全」が果たせる役割もあるのではないかと考えています。
その一方で、自治体によって管路の状態や維持管理体制、予算、人員、抱えている課題はさまざまです。だからこそ、実際に下水道を管理されている自治体の皆さまが、どこに課題を感じ、どのような対策を求めているのかをきちんと把握する必要があると認識しています。
その声を踏まえながら、延命保全を含め、これからの下水道維持管理にどのような支援ができるのかを考え、研究開発やサービス設計につなげていきたいです。
今回の調査を、自治体の皆さまにとってどのような機会にしたいと考えていますか。
下水道の維持管理には、老朽化への対応をはじめ、限られた予算や人員の中で取り組むべき課題が数多くあります。各自治体で対策を検討される際に、硫化水素や臭気への対策、そして点検から修繕・更新までの期間をどう安全につないでいくかについても、改めて考えていただくきっかけになればと思っています。
今回の自治体調査に先立ち、住民の皆さまを対象とした調査も実施しました。その結果、7割を超える方が下水道管路の老朽化に伴う事故やトラブルに不安を感じ、9割を超える方が修繕・更新までの間にも「延命保全」を行ってほしいと考えていることが分かりました。
こうした住民の皆さまの声も共有しながら、自治体の皆さまが実際に抱えている課題や考えに耳を傾け、これからの下水道維持管理について一緒に考えていくことができましたら幸いです。

下水道管路の老朽化・腐食リスクと更新工事についての住民意識調査(調査機関:株式会社IDEATECH/調査期間:2026年8月10日~2026年8月12日)より。
下水道インフラの長寿命化を支える―「延命保全」のこれから
最後に、下水道管路延命保全プロジェクトの今後の展望をお聞かせください。
まずは、東北大学との共同研究や、実際のフィールドでの検証を通じて、客観的なデータを一つずつ積み上げていきます。硫化水素の発生がどのように変化するのか、下水中の菌叢はどう変わり、それがコンクリート腐食にどのような影響を与えるのか。こうした関係を明らかにしていくことが第一歩です。
その上で、国の研究・実証制度なども活用しながら、効果や適用条件、安全性、費用面まで客観的に説明できる技術として確立し、「延命保全ソリューション」として形にしていくことが目標です。
将来的には、「延命保全」を、下水道管路の長寿命化や予防保全を支える一つの選択肢として社会実装していきたいですね。腐食リスクを抑え、そのデータを修繕・更新の優先順位や時期の判断にも役立てられるようになれば、限られた予算や施工能力を、より緊急性の高い箇所へ振り向けやすくなります。そうした取り組みを通じて、下水道インフラ全体の持続的な維持管理やライフサイクルコストの改善にも貢献していきたいと思っています。
実現には、業界全体の連携も欠かせませんね。
そうですね。点検・調査、維持管理、設計、修繕・更新を担う事業者、行政、大学・研究機関、そして当社のように環境・衛生面から支える企業。それぞれが役割を担い、強みを活かし合うことで、下水道インフラの長寿命化や、より安全で効率的な維持管理につなげていけると考えています。
できるだけ健全な状態を長く保ちながら、必要な箇所には適切な修繕・更新を行う。そして、限られた予算や施工能力を有効に活かしていく。そうした維持管理の考え方が、今後ますます重要になると考えています。
ウォーターPPPのように、長期的な視点で下水道を維持管理していく取り組みも広がっています。産官学がそれぞれの専門性を活かして連携し、予防保全や長寿命化を進めていくことで、これからの下水道インフラの未来がつくられていくのだと思います。
ありがとうございました。最後に、読者の皆さまへ一言お願いします。
下水道施設は、普段は目に触れることが少ない一方で、私たちの暮らしを支える欠かせないインフラです。私自身、長年この業界に携わり、多くの現場や皆さまに育てていただきました。だからこそ、今ある下水道管路をできるだけ健全な状態で長く使い、将来にわたって安全に引き継いでいくために、当社だからこそできることを一つずつ形にしていきたいと考えています。
「延命保全」は、まだ研究・実証を重ねている段階です。現場の声にしっかりと耳を傾けながら、実際の維持管理に役立つ技術へと育てていきたい。そして、お世話になってきた下水道業界への恩返しと、地域の皆さまが安心して暮らせる環境づくりに貢献していきたいと思っています。
(取材日:2026年8月19日)





